2012年5月24日木曜日

活動の中でずっと軸にしてきた言葉。


Go to the people,

Live among them,

Learn from them,

Love them.

Start with what they know,

Built on what they have;


But of the best leaders,

When their task is accomplished,

Their work done,

The people all remark:

WE HAVE DONE IT OURSELVES.

-Yen Yang Chu(1893-1990)



人々のところに行きなさい

ともに暮らしなさい

そして学び

愛する

みんなが知っていることから始めなさい

みんなが持っているもののうえにこそ

新しいものをうちたてられる



やるべきことが全て終わり、

仕事がなしとげられたとき、

「これは自分たちでやったんだ」とみんなが言えたなら

そこにいたあなたはよいリーダーだったかもしれない



私はいいボランティアとして、この詩のようなリーダーとして活動できたのかしら?

少なからずとも、最後は、みんなと一緒に、みんながいいと思えるように活動できたかもしれない。

2012年5月6日日曜日

残りわずか

このブログに書き込むのもかなり間があいちゃいました。
きっとこのまま書かずに帰国して消滅しちゃうのかしら・・・と思ってたけれど、
残りわずかなネパールの日々をつづる為にもちゃんと利用していきたいと思います。
「読んでるのに、ぜんぜん書いてないじゃん」とも言われちゃったしー

そう、私のネパールで住める残りの日々もあと1ヶ月と10日ほど。帰国間近。
最近では「プスパなんかネパールに来なきゃよかったのに、こんなに仲良くなってからどうやっておわかれするのさ」と配属先の仲間もさびしがってくれてます。

配属先に赴任してから22ヶ月間、地域で協力して活動をしていくことを提案し続けてきました。
というのも、私の配属先である地域学習センター(Community Learning Center: CLC)は、「地域」という名がついていながら、あまり地域に根付いておらず、活動は教育省からおりてくるプログラムをこなす受身体制。
さらに、現在は、郡内に新しいCLCがいくつも設立され、 一つのCLCが獲られる教育省のプログラムも必然的に少なくなってきています。
このままでは、配属先の活動が縮小されてしまう。そんな不安があったためです。

そんなここんなで、今まで、スタッフミーティングや、勉強会を開いて地域で協力して活動する重要さを伝えてきました。だんだんとみんなも理解してくれるようになってきてますよ♪

そして、今回、私の活動の最後のうったえとして、モデルCLCの視察を行いました。
カトマンズのPharpingにあるShikharapurCLC。このCLCは地域の団体、住民と協力して活動し、すごく発展することができたCLC。ネパールで一番優良なCLCとして賞をとるくらいすごいCLC。

視察ではShikharapurCLCの運営する女性向け学校、地域で運営する畑、ボトルハウス(農業研修で使うための部屋、エコもうったえている)などを見学し、CLCの運営についてディスカッションしました。
「どうやって地域の他団体とコーディネーションしているのか」「資金をどうやってやりくりしているか」など質問があがり私の配属先もモデルCLCに興味しんしんでした。

「いろんな良いアイディアを獲ることができて、今までこんなにうれしかった日はないわ」とカウンターパートも大喜び。

ただ、「もっと早くつれてきてほしかった、プスパはもう帰ってしまうから、ここで獲たアイディアから一緒に活動できないじゃない」と言われたのはちょっと、うー・・・という感じでした。

なにはともあれ、この視察で配属先のみんなが喜んでくれたことがうれしかったです。
ここで獲られたものが配属先にいい影響を与えますように。

 残り1ヵ月半はちゃんとブログ更新していきますね~

2011年8月14日日曜日

緑の腕輪な季節


今月はネパールビクラム暦サウン月(今さらですが、ネパールには独自の暦があります)


この月、ネパール女子たちはなんだかそわそわ(な気がする)

去年の8月の日記でも書いたように、ネパールの女性たちは、この月、旦那さんor未来の旦那さんの健康&繁栄を願って、緑の腕輪を身につけます。


私もカウンターパート(24歳仲良し女子)と一緒に、バザールで腕輪を買って、今月はずっと身につけてます。


↓こんなかんじで、濃い緑色のものがいいんだとか


そして、今年、新たにわかったのが、この月はヘナで手に模様を描く風習があるということ。


ヘナというのは、髪の毛を染めるためによく使う染料です。


それを、ケーキのクリーム絞りみたいにして、手に模様を描いていきます。


要は、ヘナで模様を手に染めるってこと。


↓こんなかんじ


そしてそして、この染めた模様が長く残っていると、将来、旦那さんに末永く愛されるそう❤



なのですが・・・私のは、一週間ほどで全部消えちゃった(2週間くらいもつらしいのに・・・)


どうして、私の未来のだんな様orz


悔しいのでもう一回トライ↓



今度は長く残るといいなー

2011年7月14日木曜日

一年たって・・・

長いことご無沙汰していました。私は相変わらず元気です。

ネパールに来てから、あっというまに、一年がすぎていました。

一年たって、

あごまでだった髪の毛は鎖骨下15センチになって、

肌は日焼けですっかり黒くなって、

毎日サンダルだからかかとは乾燥してガサガサになって、

はじめくだしまくってたお腹もまったくくだすこともなくなって、

フンチャ(わかりました、はい)の首をかしげるジェスチャーはすっかりからだに染みついて、

日本では絶対無理だったゴキブリも冷静に処理できるようになって、

ペットボトルの水は口をつけずに飲めるようになって(ネパールではつばがけがれだから回し飲みするときは口をつけない)、

「チャイニーズ」「コリア」と言われて「違う!(怒)」と思っていたのも「おしいなぁ」と思えるようになって、

はいはいしかできなかった赤ちゃんはとっとこ歩いて「ディディ(お姉ちゃん)」と手を振れるようになって、

バザールを歩けば「プスパー」「プスパーディディ」「ご飯食べた?」「今日はどこ行くの?」色んな人に声をかけてもらって、

そんな変化がありました。

10番目の変化が一番うれしいな。

最近、一年たって、ちょっと気が抜けてたせいか、疲れてたせいか、立て続けにミスして、↓ってなって「一年で何ができたのかしら?」ってなんだか自分にイライラすることもあるけど、

チネコ(知り合い)社会のこのネパールでたくさんのチネコができたのは、活動の基盤作りとして自信をもってもいいのかも。

さぁさぁ、あと一年頑張っていきますか。

2011年2月7日月曜日

日本に行きたい

「日本に行きたい。だから、日本に帰る時に一緒に、連れて行ってくれるか。」

任地に来てから何度も言われたこの質問。

ネパールでは外国へ出稼ぎに行く人がかなり多い(私の周りのネパール女性たちも、だんなさんが出稼ぎで海外にいる率はかなーり高い)。だから、先進国である日本に行って働きたいという人もたくさんいて、いろんな人に「日本に連れて行ってくれ」と言われます。

もちろん、連れて行くことはできないので、こんな質問をされて、最初は困っていたのですが、

最近は

「すっごく小さくなれたら、かばんにこっそりいれて、連れて行ってあげるよ。でも、なれないでしょ?」

と冗談交じりに「できません」をアピールして返すようにしています。


けれど、今日出会った「日本に行きたい」人は、なかなかしつこかった。

彼は結婚適齢期のネパール人男性。両親も彼の結婚相手を探している最中だそう。

そんな彼に言われたのが「日本人の女の子を紹介してくれ」。

「へー、そんなに日本人の女の子がタイプなの?」と聞くと。

「日本人と結婚して日本のシティズンシップを得て、日本で働きたい」とのこと。

「えー、無理だよ。そもそも、そんな理由の人に、紹介なんてできないよ。じゃあ、2度、3度結婚してて、子どもがいる女性とかでもいいの?」と言うと。

「日本人の女性ならだれでもいい。頑張るから。」

頑張るって・・・・うーん、結婚ってそういうものかしら?と考えていると、

「プスパはどうなんだ。結婚する気はないか?」と私に聞いてきた!?

「無理だよ!日本にボーイフレンドいるし!!」とすぐさま断ると、

「じゃあ、君の妹はどうなんだ?」と聞いてくる↓

最後の最後は「ビザだけでも用意してもらえないか?」と聞かれて「それもできない」と言うと、「君はハート(心)がないのか。冷たいやつだ。」と言われる始末。

よくよく彼の話を聞くと、日本に行って、日本がどうやって発展したかを学んで、ネパールに還元したいとのこと。

その考えには納得できるけど、でも、結婚を手段として使うのは納得できないなぁ。

この一連のやりとり。普通のネパール人の話す会話のペースで行ったので、この後かなーり疲れて、しばらくだんまりでした。

まだまだネパール語は難しい・・・

けれど、最近、不平・不満・主張(買い物しててぼられた時とかetc…)とかは、すぐに出るようになってきた。それもどうなんだろう・・・

2011年2月2日水曜日

鼻ピアス

今日、オフィスへ行くと、オフィスのディディ(お姉さん)が娘を連れてきていました。

「ひさしぶりー、どうしたの?」と娘ちゃんに聞くと、

「今日は学校が試験休みなんだ。それで、これからフリをつけに行くの」と返答。

フリとは何かというと・・・

ネパール人の女性がつけている鼻ピアスのこと。

ネパールの女性ならばだれもが鼻ピアスをしていて(民族によってつけない人もいるけど)、

それも小さい子どものころからもうつけてます。(耳のピアスは1歳にならない赤ちゃんももつけてる)。

ディディの娘ちゃんは、今、15歳。

小さいころにピアスをつけられることを考えると、なぜつけてないの??っていうお歳。

聞いたところによると、小さいころにつけたはつけたものの、自分でとっちゃって、そのまま穴もふさがって、今にいたるとのことでした。

そして、今回、鼻ピアスをつけることになったということみたいなのですが・・・

何だか、鼻にピアスの穴開けるって痛そうですよね。耳なんかよりも断然肉厚だし。

私も、何度も現地の人に「プスパも鼻ピアスつけなよ~。完璧なネパール人になれるよ~」と誘われるものの、「痛そうだし、こわいから無理!!」と断り続けてます。

で、娘ちゃんもやっぱりこわかったみたいで、いざ、ピアスつけるぞ!って時に、泣き始めてしまいました。

それでも、ディディにおさえられながら、頑張って(でも泣きながら)、痛さに耐えて何とか、鼻ピアスを開けることに成功しました。

これで、りっぱなネパール女性!

私も鼻ピアス開けようかな~。う~ん、でも怖いからやめよう。

2011年1月23日日曜日

休日

ネパールは土曜日のみが休みの週休一日制。

もう慣れましたが、日本の週休二日制に慣れきっていた私にとって、最初はちょっと大変でした。

最近では土曜日にミーティングがあったり、巡回をしたりと、ちゃんとした休日がなかったのですが、

今日は、何の予定もなく、久しぶりに休日らしい休日をすごせました。

で、そんな休日をどのようにすごしたのかというと。

前から作ろう作ろうと考えていた、おやきを作りました。

以前、隊員仲間がベーグルを手作りしているのを見て、自分でもパンを作りたいと思ってて、

けれど、電子レンジもオーブンもないし(そもそもあんまり電気がないのですが・・・)

と、行き着いた先が、フライパンで作れるおやきでした。

今日は初めて作ったものの、なかなかの上出来☆




そうそう、私の出身地群馬には、パンに甘い味噌をはさんだ、味噌パンというものがあるのですが。



そこからインスピレーションを得て、味噌ダレ作って、一緒に食べてみたり。



ネパール人の友人や大家さんからも好評でした。

明日は、オフィスに持っていってみよう。

そうだ、蜂蜜と食べてもおいしいかも。今度、養蜂グループを巡回する時にも、持っていってみよう。